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Biography
(プロフィール)
1994年 |
渡米。 |
1996~2004年 |
ジャズの名門校、ノース・テキサス大学にて8年間にわたるジャズの修行をする。オーディションに通り奨学金を受ける。 ジャズ教育の第一人者のダン・ハーリーや、エディ・ゴメズ・トリオのピアニスト、ステファン・カールソンに師事。ダラス・シンフォニーのピアニスト、スティーブン・ハルロスにクラシックを師事。 学校外では、ダラスのシーンでクラブ、フェスティバル、クリニック、レコーディング・セッション、テレビ出演など多方面で活躍し、定評を得る。テキサスのヒーロー達、マーシェル・アイバリー(ts)、アンディ・ティモンズ(g)、バーナード・ライト(keys)、エリカ・バドゥ・バンドのメンバーらとも共演を重ねる。 |
1998年~2000年 |
スイング・バンド、レイクウッド・ラッツにキーボーディストとして加入。"Swingin'
in
Love"の録音に参加、ロイヤル・クラウン・レビューやインディゴ・スイングのオープニング・アクトとして出演したり、テキサス、オクラホマ、コロラドなど各地をツアーする。 |
2001年 |
デューク・エリントン楽団のサキソフォニスト、シェリー・キャロルに気に入られ、共演を始めるようになる。デュオでイエロー・ジャケッツのオープニングを努める。 |
2002年 |
オーディションの結果全米より若手有望作曲家として選ばれ、ロサンゼルスにてヘンリー・マンシーニ学院に参加する。ヴィンス・メンドーサやボブ・ベルデンより作曲を学ぶ機会を得る。また、ハリウッドの映画音楽の録音に使われるソニー・スタジオにて自作のオーケストラ曲"A
Hiroic Tale"の録音を経験。このときのエンジニアはなんとアル・シュミット(フランク・シナトラ等)。 |
2003年 |
アメリカのジャズ雑誌の主流、ダウン・ビート誌のStudent
Awardsで、長編作曲部門の最優秀賞を得る。この賞は、かつてマリア・シュナイダーやヴィンス・メンドーサが学生時受けた賞であった。 シアトルのバレエ・カンパニー、Arc Danceより絵本作家ウル・デ・リコの"Rainbow Goblins"を題材にしたストーリー・バレエの作曲家に選ばれる。3月、シアトル大学での作品初公開にてライブ伴奏をする。 |
2004年 |
初のリーダー作、"Sharing"をリリースする。 |
2005年 |
シェリー・キャロルのカルテットのメンバーと1週間の日本ツアーをする。行く先々で大成功をおさめる。市原市民会館では1300人以上を動員する。 オーディションにより選ばれ、モントルー・ジャズ・フェスティバルのソロ・ピアノ・コンペティションのセミ・ファイナリストとして出演する。審査員はジョージ・デュークやジョー・サンプルなど。 |
2006年 |
二枚目リーダー作、”バック・ウィズ・ザ・キャッツ”をリリースする。シェリー・キャロルのカルテットのメンバーと二度目の日本ツアー。尺八の達人ジョン・海山・ネプチューンとも共演する。 再度モントルー・ジャズ・フェスティバルのソロ・ピアノ・コンペティションに選出される。今回はファイナルまで進み、3位を獲得する。 |